東通り商店街の歩み

経済成長著しい日本、
昭和30年代の大阪梅田の風景

急ピッチでインフラ整備、都市開発が進む大阪梅田、地下鉄と阪急線の相互乗り入れができるようになったのもこの頃、阪急を軸にした開発が進んだ阪急東通商店街のある大阪梅田の風景。

昭和36年3月、阪急ビル前地下街工事

出典:「<写真集>昭和の大阪 郷愁のあの街この街 アーカイブス出版編集部・編 青木茂雄・文」より引用

大阪梅田、扇町通りと都島通りが交わる三角地、昔も賑わいをみせる阪急東通商店街

昭和30年代、現在のアーケードの様相とは違い当時の阪急百貨店、東側に阪急東通商店街の始まりとなった商店が軒を連ね賑わいをみせる。

昭和37年~38年頃、梅田の阪急百貨店屋上より東を見る町並み

出典:「<写真集>昭和の大阪 郷愁のあの街この街 アーカイブス出版編集部・編 青木茂雄・文」より引用

全国から映画ファンが詰め掛けたOS劇場

当時、ハリウッドの大作や海外の著名な映画を上映するシアターとしてその迫力と感動を体感したいと願う多くの映画ファンが詰め掛け盛況を博したOS劇場があったのもこの一角。

昭和30年代東通商店街周辺の地図

出典:「<写真集>昭和の大阪 郷愁のあの街この街 アーカイブス出版編集部・編 青木茂雄・文」より引用

OS劇場全景(参考:昭和29年再建)

出典:「<写真集>昭和の大阪 郷愁のあの街この街 アーカイブス出版編集部・編 青木茂雄・文」より引用

大阪独自の娯楽・食文化の継承、 今も尚、愛され続ける大阪梅田と阪急東通商店街

昭和30年代から始まる大阪梅田の都市開発を基盤に、大阪に根付く娯楽と食文化、商売人の魂が融合した現代、建造物も高層化していき日本のみならず、世界中からもたくさんの人を呼び込める世界屈指の商業都市へと変貌していきました。 阪急東通商店街もそれぞれ個性を持った商店が昭和の激動の中に生まれ、また淘汰されてきた歴史がありました。 そんな歴史深い阪急東通商店街は今も尚、市民に愛され続け、これからも発展してゆきます。

阪急東通商店街の歴史ある老舗

阪急東通商店街の発展を激動の昭和からささえ、 愛され続ける老舗お好み焼き屋さんのご紹介。

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